子どもの頃は夢中だったゲームが、あるとき仕事のように感じられた。これはゲーム全体の評価ではなく、当時の僕と、遊びの中の競争についての話だ。
時間を忘れて遊んでいた頃
最初にゲームをやったのはいつだろうか。あまり覚えていない。ただ、3Dゲームが出始めた頃、プレイステーションの時代だろうか。僕は夢中でゲームをプレイしていた。それを見ていた親父が「ちょっと貸して」と言って、コントローラーを取ったのを覚えている。子どもの頃に聞いた話では、親父が夢中になったゲーム(コンピューターゲーム? ビデオゲーム? と呼ぶべきだろうか)は、テトリスだったそうな。
親父は数秒コントローラーを触って、僕に返した。そのときは、とても不思議で仕方がなかった。だって、もっと夢中になってプレイしてもいいはずなのに、ほんの数秒で興味を失ってしまったようでした。どうしてこんなに面白いゲームをプレイしないのか、不思議で仕方がありませんでした。
僕は本当に、子どもの頃から最近までゲームに夢中でした。中学生ぐらいまでは、寝る間も惜しんでプレイしていた記憶があります。ゲームはとても面白い!! 楽しい!! 一生かけてもいいくらい!!……なものだったのです。友達とやるゲームもとても面白くて、ボードゲームにも手を出し始めました。
麻雀は上がるための役が難しくてできませんでしたが、ドイツのボードゲーム、カタンにはとてもはまりました。その当時、僕は公的な金銭の援助を受けていたので、家賃の心配はいらなかったのです(年金の受給額は減ってしまいましたが)。友達を3人集めて、夜な夜なゲームに熱狂していました。
(本当にケンカになるくらい熱狂していました。今でも思い出すくらいです。)そうして時は流れ、ゲームも進化してきました。2000年代からの3Dゲームの写実表現の進歩には、舌を巻く思いです。いろいろな3Dゲームをプレイしてきました。ストーリーも重厚で、主人公は現実的に振る舞うのです。
遊びの中にも、比較が入り込む
そうしてゲームの世界でお金を稼ぎ、いい装備を買い、仲間にマウンティングして、ケンカをする。どうでしょうか。僕はゲームが嫌になってしまったのです。仲違いの原因が何だったのかは忘れてしまいましたが、非常に社会的な原因があったと思います。ゲームは、賃金を得て労働にいそしむような、現実の社会的な行動にとてもよく似ていますね。
僕には、ゲーム内で優劣を競うやり取りが、装備やスキルの違いで相手を評価しているように見えることがありました。実際、ゲームの腕が優れていてお金をもらっている人たちもいますね(eスポーツというのでしょうか)。ただ、最近はゲームがそれほど面白く感じられないのです。ほとんど現実と変わらないように見えるからです。
仕事をたくさんこなして実力をつけ、収入や社会的な地位を得る。高い車やいい時計など、そうしたものを評価の物差しにして自分を見ると、それらを得られない人(ゲームでいうと、レベルが低かったりスキルがなかったりする人でしょうか)が、低く見られているように感じてしまうのです。
まあ、でも、そういった社会的な地位が高い人や、高額な収入を得ている人たちは、自分の時間と労力を、するべき仕事に割り当てています。そのため、他人にマウントを取る時間もなかったりするわけです。そもそも、他人と比べることに興味を示さない。これはゲームでも同じで、やっぱりゲームが上手な人は、それなりの時間をゲームに費やしていますよね。
人生まで順位表にしなくてよい
これは、別のゲームが始まったということなのかもしれません。書きながら思うのは、人生も一種のゲームのようなものではないか、ということです。ただデジタルのデータが現実に置き換わっただけで、僕のするべきことは仕事を猛烈にこなし、レベルを上げ、収入を上げることなのかもしれません。
ゲームのお金は現実では使えませんからね。
皆さんはどんなゲームをプレイしていますか?
この問いから、今考えていること
それでも、ゲームを楽しむ方法が競争だけとは限らない。物語を味わったり、気の合う人と遊んだりする時間もある。仕事と似ているかを考えるだけでなく、自分はどんな遊び方が好きなのかを確かめたい。


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