お洒落をするとはどういうことか?

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 最近巷ではダボダボのファッションが流行っています。若い女の子も男の子も、ルーズな色落ちしたジーンズを履いていて、女の子の場合はタイトなシャツをおへそを出して着ていて、男の子の場合は、ルーズなシャツを着ています。僕はこどおじなのでイマイチピンとこないのですが、そういうのがお洒落ということらしいです。街に出かけると結構な頻度で見かけるのです。またモノトーンの人が良くいます。(僕が住んでいるのは日本の地方なので、全部が全部そうというわけではないかもしれません。服の色や形は文化や環境によっても違いは出ると思います。)

 僕のお洒落はどういうことかと申しますと、全くもってお洒落では無かった訳です。今までお洒落というものに全く関心を払ってきませんでした。一部の成功した人を見て、「成功する人は、選択の余地を残しておくために毎日同じ服を着る。」ということを、何故か信じ込んでしまったのでした。そうして僕は、毎日、黒のスキニージーンズに、グレーのポロシャツを着ていたのです。この選択の余地を残しておくためというのが、とても厄介です。

 毎日僕らは、日々の仕事、学業、様々なタスクに追われていて、忙しくしているわけです。だからできるだけ、そういった選択の余地というものを残しておかなければならないのだという理屈はもっともらしく聞こえてきます。別のもっと重要なことに時間を費やすべきだろうと。ですが、僕やあなたが毎日を過ごす時間の中で、重要なことを考えたり、重要な仕事をする時、一体どんな格好なのでしょうか?バスルームに行って鏡を見るときに僕もしくはあなたはどう思うのでしょうか?どこかに食事に行ったり、歯医者に行ったり、買い物をしたり、人の目から見て僕やあなたはどんな目で見られるのでしょうか?

 僕の場合は、いつも小汚いジーパンをはいたおじさんにしか見られないのです。サービスを提供する人も、周りでサービスを受ける人も、僕の恰好を評価しないかもしれません。ですがみんな無意識に評価していると最近は思い始めています。だってそうでしょう、足元を見る、と日本では言います。辞書で調べると、相手の弱みや事情を見抜き、つけこんで不当に高い要求をすることを意味する慣用句です。語源は、旅人の足元を見て疲れ具合を判断し、高額な料金をふっかけていた昔の駕籠かきが由来とされています。これはお洒落のことについて言及していますよね?

 靴なんてなんでもいいじゃないですか?ボロボロのもはや元の色がわからないスニーカでも、ビーチサンダルだっていいわけじゃないですか?でもみんな足元を見ているわけです。これがもしウィングチップのピカピカな革靴だったり、ナイキの真っ白(この世界で最上なくらいに!!)だったとしたら、多分店員さんの態度は変わると思います。

 やっぱりみんな綺麗な人が好きですよね。ボロボロの服や靴を身にまとっている人は、どこか問題があるのではないかと勝手に頭の中で考えてしまいます。僕はこのブログを書いている時点で35歳なのですが、もう少しだけ、清潔で、アイロンのかかった服を着て、靴をピカピカにして、外に出ようと思う次第なのでございます。

 あなたにとってお洒落とはどういうことでしょうか?

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