今日は市営のジムに行ってきました。自分の体を追い込んで、喫煙所でタバコを吸っていると、体格の大きな人たちがタバコを吸っています。髭を蓄え(日本ではあまり見られないのですが、)脂肪がでっぷり乗った上からでも筋肉があるのが伺えます。耳には大きな塊があります。誰かに何かを聞いた訳ではありませんが、彼らは柔道をやっているのでしょう。とても強い体つきをしています。僕を見てもその辺のモヤシにぐらいしか見えないのでしょう。僕が5人いても勝てないような体つきです。このジムに来るまでに、車を走らせる途中に、日本でも有数の屈強な男たちが集まる自衛隊の詰め所があるのです。その男たちを見るに、僕はいつも感嘆を漏らさずにはいられません。「これだけの屈強な男達が国を守ってくれているのだから、安心だな、」と。しかしそんな男たちを嘲け笑い、赤子の手をひねるがごとくねじ伏せる男たちがいるのです。ボディビルダーとは違う、きわめて実践的な筋肉です。ですがそんな男たちですら、相撲取りにはかなわないでしょう。彼らはとても大きな体と筋肉を秘めています。二人で取っ組み合にになったら、柔道家ですら相撲取りにはかなわないでしょう。
よく「柔よく剛を制す。」といいますが、これには続きがあるのです。「剛よく柔を断つ。」です。どうして格闘技においてライト級だのヘビー級だのクラスがあるのかわからなかったのですが、そういうことなのです。体の大きさが違うと勝負にならないからです。強さというのはとても非情なもので、大きいものが勝つのです。これは自然の摂理です。なかなか抗えないものですね。僕は身長が165センチメートルしかないのですが、それ以上の人が来たらとても太刀打ちできないわけです。自然というのは残酷ですね。ですが僕が出来ることは自分を高める事だけですので、一応ひたすら筋肉をつけているわけでございます。
そうして一服した後にプールに行きました。25メートルのプールで、自由コースと往復コースとに分かれています。自由コースは何をやっても大丈夫、歩いてもいいし、水をバシャバシャ掛け合っても何もお咎めなしです。ですが往復コースはそうはいきません。25メートル完全に泳ぎ切れる人しか入ってはいけないレーンなのです。これには人生の縮図があるような気がしてならないのです。つまるところ、上手い人は自分の都合で好きなように(要するに往復コースでクロールだのバタフライだの平泳ぎだのを)出来ます。しかし25メートル泳げない僕はどうでしょうか?自由コースで、子供(大騒ぎして、場所を広くとる。)や老人(のろのろ歩いて若い人に色目を使う。)人たちと一緒に、クロールやバタフライや平泳ぎを練習しなければならないのです。持てる者ではないのです。お金においても、体格においても、頭脳に至るまで同じような現象が起きていると、思える次第でございます。


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