自分を客観的に見ることはできるのか――内省の手がかり

鏡に向かう女性と過去の姿を重ね、内省と記憶を表したイラスト 心理・人間

自分のことは自分が一番知っている、と言い切れるだろうか。他人の評価だけにも頼れない中で、自分を振り返る手がかりを考える。

自分を評価する難しさ

他者との関係を考えるとき、自分との向き合い方も気になる。自己を愛するためにはどういうことが必要なのか考える。他者の状態を観察するとき人間は目を見たり、足を組んでいるのかどうか、話の内容、首を縦に振っているのか横に振っているのか、つま先の向き、その他もろもろ、他者の様子を推し量る手がかりは多いが、それだけで気持ちを確定できるわけではない、それは一つの占いのようなものだ。

どういうことか?観察するという行為は自己を通して他者を見た時、もしくは自己を通して他者以外の物を見た時にしか客観的に見れない。つまり観察する行為は主体的なもの(もしくは自己)から生まれるわけであって、完全に客観的になりえない。このことから、他者を完全に理解したと言い切ることには慎重でありたいと思う。

行動の跡を振り返ってみる

さらに自己という存在を客観的に評価するとなると、他者における自己から、自己における自己を観察することになる。こうすると、さらに自己における自己はさまざまな表層が他者から与えられ、他者からの客観的な評価の機会を逃してしまう。そうして人間は他者において客観的な評価や思想を逃すことになる。

誰も自己の思考を他者に完全に伝えることは出来ないし、自己ですらも、自分の思考を理解しえない。

しかし自己という存在はこうして自己の精神が困窮している間も時間を紡ぎだす。まるで船の航跡のごとく車輪の轍のごとく、その中で自己を振り返るとどうだろうか?自己がどのように動いてきたのか?どういった考え、動機、理屈で動いてきたのか?そうしたものを内省するとき、はじめて自己というものは頭角を現すのではないだろうか?

自己という存在や思考は自己を振り返る(内省するときに初めて)認知しえるものではないだろうか?

この問いから、今考えていること

印象だけで「自分はこういう人だ」と決める前に、実際に何をしたかを書いてみる。行動、感情、解釈を分けて振り返ると、自分を知る入口になるのではないだろうか。

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