人は自分をみつめることが出来るのか?

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 他者を愛するためには自己を愛さなければならない。自己を愛するためにはどういうことが必要なのか考える。他者の状態を観察するとき人間は目を見たり、足を組んでいるのかどうか、話の内容、首を縦に振っているのか横に振っているのか、つま先の向き、その他もろもろ、他者の心理状況を観測する手段に事欠かない、それは一つの占いのようなものだ。どういうことか?観察するという行為は自己を通して他者を見た時、もしくは自己を通して他者以外の物を見た時にしか客観的に見れない。つまり観察する行為は主体的なもの(もしくは自己)から生まれるわけであって、完全に客観的になりえない。自己という存在は他者を理解することは出来ないと結論付ける。

 さらに自己という存在を客観的に評価するとなると、他者における自己から、自己における自己を観察することになる。こうすると、さらに自己における自己はさまざまな表層が他者から与えられ、他者からの客観的な評価の機会を逃してしまう。そうして人間は他者において客観的な評価や思想を逃すことになる。誰も自己の思考を他者に完全に伝えることは出来ないし、自己ですらも、自分の思考を理解しえない。

 しかし自己という存在はこうして自己の精神が困窮している間も時間を紡ぎだす。まるで船の航跡のごとく車輪の轍のごとく、その中で自己を振り返るとどうだろうか?自己がどのように動いてきたのか?どういった考え、動機、理屈で動いてきたのか?そうしたものを内省するとき、はじめて自己というものは頭角を現すのではないだろうか?自己という存在や思考は自己を振り返る(内省するときに初めて)認知しえるものではないだろうか?

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