誰かを助けて自分もうれしくなったら、それは自分のための行動なのだろうか。利己と利他を、きれいに二つに分けられるのか考えてみた。
自分の利益と、他人の利益
人生の中で現れる利己的な人とは一体どんな人だろうか?あなたも利己的な人に会ったことがあるだろう。利己的な人は自分の利益や欲求を最優先する人である。他の人がどんな状況に置かれていようと、自分の有益について考える人である。対して利他的な人は、他者の利益や欲求を最優先すると考えられる。
他者の有益について考える人である。どちらの方がいいのかは言うまでもない。本当にそうだろうか?
見返りがあると善意ではなくなるのか
仮に利他的であるという人がいるときにそれは、最終的に自分の利益になる。という思考で動いているとすればその人は利己的である。なぜなら自分の利益を享受するために動いているのだから。そうするとほとんどの人が利己的になるのか?真に他者のためを思って行動する人がどれだけいるだろうか?
他者のためを思う。とはどういうことだろうか?
動機だけでなく、相手に起きたことを見る
たとえば、困っている人に手を貸して、後から感謝されてうれしくなったとする。その喜びがあるからといって、相手が助かったという事実まで消えるわけではない。
逆に、「あなたのため」と言いながら、相手が望んでいないことを押しつけてしまう場合も考えられる。動機を善意と呼ぶことだけでは、行動のよさは決まらないのだろう。
僕が注目したいのは、相手が何に困っていたのか、その行動で何が変わったのかという点だ。もちろん、自分にできる範囲や安全も無視できない。無理をしなかったという理由だけで、人を利己的だと決めつけるのも違うと思う。
この問いから、今考えていること
純粋な善意かどうかを判定するより、自分にも相手にも無理の少ない助け方を考えたい。自分がうれしいことと、人の役に立つことは、両立していてもよいのではないだろうか。

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