去年くらいまで仕事を掛け持ちしていた。本業が複合サービス事業の仕事で、福利厚生はしっかりしているのだが、給与が低い。休みの日を別の仕事に充てていた。業種は運送業で、朝の4時から12時間くらい働いて日銭を稼いでいたのである。お金はまあまあ良かったのだが、ある朝起きると、めまいがする。頭が痛い。それもとんでもなく。少し前に三半規管の病気で頭がクラクラしたことがあったので、今回も同じように三半規管だろうと耳鼻科を受診した。先生には「一応薬は処方しておくけれども、頭の方も診てみてください。そちらの方が優先順位は高いです。」といわれた。そうして脳神経外科の町医者を探して当日に予約を取った。即座にMRIにぶち込まれたのである。さらに、町医者は言う。「うちで死なれたら困るから、大きい病院を紹介するから、そこに行け。」
死なれたら困る?何かとんでもなく大事なことをサラッと言っている。どうやら自分は死の一歩か二歩手前まで来てしまっているようなのである。病名は椎骨動脈解離。脳に血液を送る動脈の壁がはがれ隙間から血液が流れ込んでしまう病気である。(私は無学で素人なので、この説明が間違っていることがあることを了承されたい。)そうして、また別の大きな病院に移り、もう一度MRIに入ることになった。白い筒の中で不愉快な機械の音に耐えながら、気持ちとしてはあまり不安もない。死んでもまあいいか、ぐらいだった。またその大きな病院の先生のアドバイスもなかなか、適当なのである。というよりも、他にいうこともやることもないのである。「治るかどうかは運です。今できることはありません。原因もわかりません。血圧だけには気を付けてください。」ということである。体が自然に治るのを待つしかないということで、なかなかどうして、自分が改善も破壊も出来ない時というのは、もどかしいものである。しかし、この文章を書いている。ということは私は生きているということなのだ。一年が経った頃、MRIにもう一度入って、解離が治っていることを確認して、私と椎骨動脈解離との闘いは幕を閉じたのである。
それから、仕事の掛け持ちを辞めた。やはり心と体は正直である。私は無学で素人なので、あまり心理学や哲学、医学は分からないのですが。人間の(というのは大きすぎる)私の心と体というのは、どうも私が考えていることと違うことを考えていたりするみたいなのです。というのも今回の病気というのも私がなりたいと思ってなったわけではないからです。日々の労働に体が悲鳴を挙げ、「もう私はこれ以上の労働には耐えかねます。」と体が申し出てきたのです。なので私としても、これ以上体を使った労働はできないと所存しているところです。そうして休日という時間が出来たのでした。
休みの日に酒を飲んでダラダラしていると、なんというか焦燥感のようなものが出てきました。(自分はこれでいいのか?今の仕事はどうなのか?人生はどうだ?)いつもいつも同じような悩みが頭の中をぐるぐる回って、それを解消するために、仕事に夢中になっていた。酒や女遊びに溺れているといっても過言ではありません。腹の肉も増え、あばらはむき出しで、なんとも貧相な体になってきました。何故かわかりませんが、ジムに行きたくなってきたのです。そしてボロボロの車を走らせて、市営のジムに向かいました。ウエイトトレーニングを始めたのです。そんなに難しいことはありませんでした。ジムで使う時間は一時間くらいで、ウエイトも自分がもう無理だと思うところから、もう一回上げるだけです。ジムが終わったらとてもたくさん汗が出ますので、プールに入ります。25メートルも泳げないので、いつも歩いています。ですが汗を流した後のプールは気持ちがいいものです。
そうしてジムに通い始めてから、半月以上経ったのでしょうか?胸の筋肉の上にシャツが乗り、肩幅も広くなり、腹筋は少し割れているような気もします。性欲もかなり増えているようです。気のせいか異性からの目線も頂くようです。(自意識過剰なだけかもしれません)どこまで行けるのかわかりませんが、もう少しジムに通ってみたいと思います。ですが、女遊びも酒もやめられません。健全な精神と肉体はどこへ行ってしまったのでしょうか?
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