他者に興味がない人は自己にも興味がないと仮定し、自己の中にある意識の中からしか人は他者を認知しえないとすると、自己は自らの経験や、感情、自己の思考、意識の中から他者を推察し、他者の考えていること、感情を決定しえない。つまるところ他者に興味関心がない人間は、自己の中にある経験や思考、意識が欠落している。そうした人間はどのようにして社会を捉えるのか?
社会という枠組みを記号の羅列、無意味なものとしてしか知覚しえないのではないだろうか?彼らにとって社会とはただの時間の経過に過ぎず、それらを砂時計のように眺めているだけのものとしかとらえられないのではないだろうか?そうすると社会との関係性が希薄になる。だが自己を保存する必要はあるため、その法則に従って、それらの時間の経過を眺めるだけの存在になるのではないか?
これについては異論もある、社会性の欠落というよりも、社会的に問題のある人間は、過去に受けたトラウマに囚われ、それを克服、もしくは逃避するために、行動するということである。過去から現在、未来についてもそのトラウマに囚われその原則に従って行動するほか、彼らに生きるすべがないとするものである。
人間(自己)は他者に対して必ず興味関心があり、その中で社会的な判断をするだろうということは、誰もが思考することではないだろうか?だかそれらが欠落した人間がいるという可能性を除外している。もし他者に対して興味関心がない人間がいる場合どうなるのであるだろうか?
先に述べた通り、自己や他者に対する存在や価値に何も重きを置かず、そうなれば社会というものにも関心は希薄になり、自己における快楽のみを追求する存在になるのではないだろうか?そうなれば人間(自己)は社会性を失うが、自己保存における有益な社会性のみを追求し、それ以外に関心を失い、社会性を全く失うのではないだろうか?


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