相手の見方に自分の感情が混じるとき――「投影」を考える

屋外で手に持った丸い鏡に映る女性の顔 心理・人間

相手への評価には、自分の経験や感情も混じっているのではないか。「投影」という言葉をきっかけに、その疑問を考えてみたい。

専門用語と、自分の考察を分ける

これは心理学の専門的な解説ではなく、学びながら自分の思考を整理するための文章である。専門用語の意味と、そこから僕が考えたことは分けて書きたい。

「投影」は、自分自身の感情や性質などを他者に帰属させる心の働きを指す心理学用語として使われる。用語の参照先としてAPAの心理学辞典「projection」を挙げておく。ただし、人への評価がすべて投影だという意味ではない。

嫌悪にも尊敬にも、自分の価値観がある

僕が気になったのは、嫌いな相手を見るときだけではなく、尊敬する相手を見るときにも、自分の価値観が関わっているのではないかという点だ。ある行動をよいと感じる背景には、自分がこれまで何を大切だと学んできたかもあるだろう。

たとえば、約束を守ることを大切にしている人は、その行動に目を留めるかもしれない。これは仮の例であり、それだけで心理学上の投影が起きたと判定できるわけではない。自分の見方に価値観が関わるという話と、専門用語としての投影は同一ではない。

相手を診断する言葉にしない

だから、「あの人の批判は投影だ」と言って片付けるより、自分が何を見て、何を推測したのかを分けてみたい。相手が実際にしたこと、自分が感じたこと、その理由についての仮説。この三つを混ぜないことが、僕には大切に思える。

この問いから、今考えていること

自分の見方を疑うことは、相手の言い分を何でも受け入れることではない。事実を確かめながら、自分の解釈にも余地を残しておきたい。

あわせて読みたい

自分を客観的に見ることはできるのか――内省の手がかり

他人に関心がない人を、どう理解すればよいのか

コメント

タイトルとURLをコピーしました