まず私はいかなる学問においても、教養や知識を持ち合わせていない白痴なので、私が述べる事象や理論はそれに対する有識者の方々から見れば、不勉強な人と思われても仕方がないことと、思います。しかし、自分の思考を整理する一助となれ、という思いで書き記しておきます。
心理学において、投影とは自己の心理学における投影(とうえい、英: Psychological projection)とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るため(防衛機制)それを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きをいう。これはウィキペディアからの引用です。
他者に否定的な感情を抱いているとき、自己は他者について(自己を攻撃しようとしている。)と感じるという一種の働きについて述べられていると私は考えます。しかしこの投影においては、いささか私は懐疑的なのであります。まず自己という存在は、生まれて乳児期から、青年期または老年期まで父親や母親、もしくは先生、もしくは同級生、あらゆる人々(つまるところ他者)から人間がするべきこと、するべきではないことを見聞し、自己の中から判断します。この中で自己は善であるもの、悪であるものを分けていくわけです。そうした経験の中で自己の精神や思考の中で悪いと感じたものを、他者に見た時、自己は悪いと感じるわけです。ですが本当に悪いこと以外に投影は発生しないのでしょうか?
あなたは、(あなたであり私)自己の中で善い行いをした人を見た時に尊敬や幸福を感じることがあると思います。そうした経験は積み重なり、自己においての善というものに昇華していくでしょう。その経験からあなたの中で善としたものを見た時、あなた(もしくは私)は善を感じることになります。つまるところ、投影とは、善にも悪にも働くということです。その中で、投影の意味の本質を考察するところ、自己の精神の方向性ではないか?と私は思う次第です。
あなた(あなたであり私)は自己が進むべき道を善の方向に導くために、悪を遮断するために嫌悪の感情を抱かせているに過ぎない。自己における善を全うするために、悪を嫌悪しているに過ぎないと私は考えます。つまるところ投影とは自己の精神の方向性(自分にとっての善)を決めているのであり、必ずしも否定的な感情を体現しているだけではないと思う次第です。

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