資本主義のパラドックス

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 近代おいて労働者は絶えず生産することを求められ、雇用主から賃金を定められ、その金額に似合う能力を発揮するように求められる。そうして労働者は生産し、資本家や雇用主(使用者、もしくは事業主)の利潤を求められる。無駄なことをしないこと(仕事をサボタージュしないこと)、生産的であること、雇用主(事業主)に忠実であることを求められる。そうして神に替わる一種の共同体として企業というものは今日成り立つ。

 そうした中で生産されたものというものは恒久的であってはならない。それは何故か?労働者が生産して得られる利潤を資本家や事業主が享受できないからである。不変のものは生み出せば存在し続けるが、変化するものは存在しなくなる可能性がある。資本家や事業主にとっては後者の方が好都合なのである。変化しないものは利潤を生みださないからである。そうして、壊れやすく、必要なものが重宝され、民衆はそれを求め、労働の義務を進んで行うのである。この一連の流れが資本主義であると考える。

 だがそうして常に変化し続ける市場に人間はある年齢までは対処できるかもしれない、しかし一定の年齢を超えてからは、変化に対処できなくなってくる。この中で人間は普遍的なものを求めるようになるのではないのだろうか?それは自我における余命の不安からくるものかもしれない、もしくは変化するものの中に法則性を見出したものかもしれない、あるいは変化するものがあるのならば、変化しないものもあるのではないか?という推察からくるものかもしれない。なんにせよ人間は普遍的なものに自我の安定を見出すようになる。こうなってしまうと人間というものは精神や身体の健康における最低限の維持活動しか行わず、恒久的なものばかりを求めるようになる。

 そうした中で資本主義というものは機能しうるのだろうか?

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