誰からも必要とされず、誰の承認も満たせない人は不幸なのだろうか?それはその人の心の中を覗く以外に判断のしようがない。客観的に見てその人は不幸なのだろう。しかしその人の内面は、他人にはわからない。その人の行動、言動、それらを用いて判断するほかない。つまるところその人が幸福か不幸かは他人である私たちは知覚しえない。もし私個人がその立場(誰からも必要とされず、誰の承認も満たせない人)になった場合、それは不幸なのだろうか?それも違う。私個人の内面が誰かの必要を求めず、誰の承認も求めない場合においては、私は幸福である。
そもそも幸福の定義が間違っているのだ。幸福とは何かということをもう少し考える必要がある。他人から承認を得ることが幸福なことなのか?必要とされることが幸福であるのか?必ずしもそうとは言えない。自身が本当にやりたいこと、思考したいことに取り組んでいる時間は人は幸福になれる。その時間において自身は他人の承認を必要としない。そうした時間を過ごしている間に他者が不幸を観測しても、自身は幸福である。自身の意識が幸福の一部をもたらすことがあると考える。


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