毎回ゼロから頑張らないために――経験を残すことと、暮らしの豊かさ

開いたノートに置かれた万年筆 人生・幸福

以前、ルールや規則、資産、記憶といったものを積み上げていくことに、職場や人生の豊かさの一部がかかっているのではないか、と考えた。

少し大きな話に聞こえるかもしれない。けれど、気になっているのは身近なことだ。今日苦労して分かったことが、明日の自分を少しでも助けてくれるだろうか。

一日を頑張って終えることと、次の日に使えるものを残すこと。その違いについて、もう少し考えてみたい。

頑張った分だけ、何かが残るだろうか

例えば、ある作業で困り、あれこれ調べて、ようやく解決したとする。その日は無事に終わった。ところが、しばらくして同じ問題が起きたとき、何をどう直したのか思い出せない。また最初から調べることになる。

解決したこと自体には価値がある。記録しなかったから無駄だった、と言いたいわけではない。ただ、次の自分に手順を一つ渡しておけたら、その苦労を繰り返さずに済んだかもしれない。

僕は「もっと頑張ればよい」と考えがちだけれど、頑張った後に何が残るのか、という問いもあってよいと思う。毎回同じところで疲れているなら、努力の量を増やすほかにも、考えることがありそうだ。

一人の記憶を、みんなが使えるものにする

仕事のやり方が誰か一人の頭の中にしかなければ、ほかの人はその都度聞かなければならない。聞かれる人も、そのたびに説明することになる。

ここで手順や判断の理由が残っていれば、教わる人には出発点ができる。教える人も、同じ説明を何度も繰り返す負担を減らせるかもしれない。

ルールも、ただ「こう決まっている」と書くだけでは分からないことがある。何のために決めたのか。何を優先したのか。例外があるとしたら、どう考えるのか。そうした理由まで分かると、そのルールに疑問を持つことも、直すこともできる。

僕が豊かさと呼びたいものには、こういう状態も含まれている。誰かの記憶や、その日の頑張りだけに頼らずに済むこと。自分一人が分かるだけで終わらせず、次の人が使える形にすることだ。

暮らしの中にも、小さく残せるものがある

例えば料理なら、うまくできた分量と、次は変えたいところを一行だけ残す。味が濃かったなら、何をどれくらい減らしたいのかを書いておく。立派なレシピ帳を作らなくても、次に作るときの助けにはなる。

読書なら、読み終えた冊数だけでなく、引っかかった問いを一つ残す。「自分はなぜこの考えに納得できなかったのか」と書いておけば、後から読み返したときに、その頃の自分の見方にも触れられる。

こうした記録は、お金のように価値を数字で表しにくい。それでも、次の手間を減らしたり、考えを深めるきっかけになったりするなら、暮らしの中で使えるものが増えたと言ってよいのではないだろうか。

残したものを、変えられるようにしておく

ただ、積み上げたものが多いほどよい、とも限らない。昔は役に立った手順が、今の状況には合わないこともある。理由を忘れたルールだけが残れば、それを守るために余計な仕事が増えるかもしれない。

記憶についても、過去の自分の結論を、そのまま正解として保存する必要はないだろう。「そのときは、そう考えていた」と見直せる形で残しておきたい。

だから、何かを記録するときは、答えだけでなく、そう判断した理由や条件も少し書いておく。次に使うときに、まだ役に立つかを確かめる。積み上げることには、直したり、手放したりすることも含まれるのだと思う。

明日の自分が、少し楽になるなら

もちろん、生活のすべてを記録し始めたら、それ自体が仕事になってしまう。本を読んだら感想を書かなければ、料理をしたら分量を残さなければ、と考えるのでは、休む時間まで落ち着かなくなる。

何も残さず楽しむ日があってもよい。そのうえで、何度も困ることや、忘れたくない気づきがあったときに、一つだけ残してみる。そのくらいから考えたい。

以前、成長したいのに、何を目指したいのか分からないと書いた。大きな目標が見えなくても、明日の自分が同じことで困らずに済むようにすることなら、手を付けられるかもしれない。

そして、残した工夫で時間が空いたなら、そこにまた仕事を詰め込むだけにはしたくない。自由な時間と、それを楽しむ余力について考えたときのように、自分が使い方を選べる余地も残しておきたい。

今日の頑張りが、明日の自分を少し助けてくれる。自分が分かったことが、次の誰かにも使える。そういう積み重ねも、豊かさの一部なのだと思う。

写真:Aaron Burden / Unsplash。

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