利己的な人についての考察

 人生の中で現れる利己的な人とは一体どんな人だろうか?あなたも利己的な人に会ったことがあるだろう。利己的な人は自分の利益や欲求を最優先する人である。他の人がどんな状況に置かれていようと、自分の有益について考える人である。対して利他的な人は、他者の利益や欲求を最優先すると考えられる。他者の有益について考える人である。どちらの方がいいのかは言うまでもない。本当にそうだろうか?

 仮に利他的であるという人がいるときにそれは、最終的に自分の利益になる。という思考で動いているとすればその人は利己的である。なぜなら自分の利益を享受するために動いているのだから。そうするとほとんどの人が利己的になるのか?真に他者のためを思って行動する人がどれだけいるだろうか?他者のためを思う。とはどういうことだろうか?

 例えば駅のホームから酔っ払いが落ちたとしよう、これを助ける人は利己的であるのであろうか?駅には何十万人の人が行き交い、交錯していく中で、全くの他人を助ける意味はあるのか?それが自己にとって意味のある事と真に思えるのだろうか?いったい彼は何を優先したのだろうか?道徳的、倫理的な何かであろうか?そうかもしれない、もし彼が利己的であったとして、ホームから落ちた人を救わなかったとすれば、それは利己的な行為であり、利己的な人であろうか?社会性や文化はそれに対しては無関心を決め込む。(兎角日本においては。)それは彼が飲酒をして、快楽を求めた結果であり、必然的な事実だからである。そう、ホームから手を差し伸べた人は真に利他的であったのである。それは何故か?他者の結果が必然的であったにも関わらず、それを修正した点にある。その結果を変えたことが自身の(ホームから手を差し伸べた人の)意思であるということである。ホームから落ちた人は酔っぱらっているため自分の意思(および自我)を介在しない、しかし、ホームから手を差し伸べた人は自分の意思、および自我および理性が存在する。その中で命を救う選択肢を選んだのである。他者の必然的な結果を変える時、利他というものは初めて存在しえるのではないだろうか?しかし、偶然、もしくは気まぐれに、他者の運命を決めることもあるかもしれない。

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