過程ももしくは人生においての考察

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 人間は自己もしくは他者から幸福であると定義するとき(あるいはされるとき)どのような状態なのであろうか?人生において人は生まれ、生きて、死ぬという原因、過程、結果というプロセスをたどる。この中で、私もしくは彼が幸福であったと定義できるものはどれだろうか?

 まず原因において考える。原因においては自己はまだ自我をもっておらず、それに対して自己が幸福であると定義することは不可能である。しかし他者においては、他者から生まれたもの幸福と定義することは可能である。しかし自己が幸福を感じることはない。社会とつながる術のない自我は、ただ親からの愛を傍受する存在に過ぎない。

 しかし、過程において、人間は自我を持つと話は変わってくる。自己の思考と他者の思考を分ける思考を持つようになる。その中で自己の幸福と他人との幸福の差異を見出す。だがこの時点で自己における幸福の価値観は、親やそれ以外の他者に定義されているものである。そして自己は他者と自己の中の幸福における差異を感じ取り、他者ではなく自己の幸福を追求していく(この過程を経ない人もいる。)

 そして人が死ぬ時、その瞬間から自我は消滅する。そして他者の記憶の中(もしくは自然、人工物のなか)に残る。この段階で自我は消滅しているので、幸福を定義することは、他者からしかできない。つまり自己は幸福を知覚しない。

 自己(もしくは他者が定義する)幸福を傍受できる期間は自己が自我を持ち、生きている過程にしか存在しない。

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