初めて世界を知る喜び――「ある」と気づくことの不思議

光と闇の境界で人影が粒子へと溶け、存在と不在を象徴するイラスト 哲学・思想

知らなかったことが、あるとき急に分かる。その喜びについて、僕自身の思考を整理してみたい。ここで扱うのは哲学的な想像であり、乳幼児の発達を説明する記事ではない。

見慣れたものが、違って見えるとき

初めて見たものの印象は、見慣れた後の印象とは違うことがある。同じものが目の前にあっても、名前を知ったり、仕組みを理解したりすると、別のもののように見えてくる。

たとえば、音楽の仕組みを何も知らずに聴くときと、少し学んでから聴くときでは、耳を向ける場所が変わるかもしれない。世界そのものが入れ替わったのではなく、自分の中に受け取るための手がかりが増えたのだろう。

僕が面白いと思うのは、「そこに何かがあること」と「自分がそれを知っていること」の間に、距離があることだ。知らないものを、存在しないものと同じように扱ってしまうこともあるのではないか。

「存在する」と「知っている」の間

この考えを人間関係に置き換えると、さらに難しくなる。自分には分からない相手の気持ちも、分からないからといって存在しないわけではない。

新しい知識を得る喜びには、自分の世界が少し広がった感覚がある。ただし、その喜びがすべての人に同じように起こるとは限らない。誰かの内面を想像するときこそ、自分の感覚をそのまま当てはめないようにしたい。

この問いから、今考えていること

「もう分かった」と思うより、「まだ知らない部分がある」と考えること。その余白が、世界を知る喜びを残してくれるのかもしれない。

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