恋愛を考えるとき、僕はつい「どちらが選ぶ側なのか」という見方をしてしまう。そこから、対等な関係とは何かを考えてみたい。
恋愛を勝ち負けで見てしまう
誰かに好かれたいと思うと、自分は選ばれる側なのだと感じることがある。しかし、相手にも僕にも、関係を望むかどうかを決める意思がある。どちらかだけが選ぶという見方では、そのことが抜け落ちてしまう。
違いがあることと、対等であること
以前の僕は、男女に違いがあるのだから、同じようには扱えないのではないかと考えていた。ただ、「同じであること」と「対等な立場であること」は別の話だ。性格も望みも違う二人だからこそ、お互いの意思を確かめる必要があるのだと思う。
恋愛では、好意を向けても応えてもらえないことがある。それはつらいが、好かれたいという自分の望みが、相手の選択を縛る理由にはならない。反対に、相手から好かれたからといって、自分が応じなければならないわけでもない。
相手を一人の人として見る
「女性はこう考える」「男性はこう振る舞う」と一括りにすると、目の前の相手の気持ちが見えにくくなる。結婚や子育てを望むかどうかも人によって違う。僕が知りたいのは、性別全体の答えというより、その人が何を大切にしているのかということなのだろう。
この問いから、今考えていること
選ばれるための条件ばかりを数える前に、僕は相手とどんな関係を築きたいのかを考えたい。対等であるとは、同じ人間になることではなく、違う意思を持つ二人として向き合うことなのかもしれない。


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